女を守る男は女に甘えることも知っている
大体、セクシーな男性はみな声がいい。
声が悪い男性にセクシーさを感じますか?
声というのは、男の生理部分の投影だと思います。
話にオカマ言葉がまざる人はその典型。
生理的にオカマ的な部分を必ず持っています。
「ハンサムだし態度も好きだけど、どうも声が…」
などという場合は、あまりおすすめできない相手かもしれません。
声はまるで肌着のように、女性の脳にまといつくものなのです。
「顔の悪いプレイボーイはいても、声の悪いプレイボーイはいない という言葉は、真実なのかもしれません。
声は男性としての魅力を計る、正確な物差しともいえるでしょう。
総合的にいうと、男性の不良性というのは、たぶんに少年の心であるのです。
つまり不良性というのは極言すると男性の純粋性、ねじまげられていないまっすぐな心であります。
女性が(男性も)不良性をどこかで尊敬しているのは、そうした根底があるからに他ならないのです。
不良たちはいつも旅の途中、終着駅とか自分のねぐらに安住して休んでいる事がありません。
男性の不良性を考えるとき、我々女性たちは、置かれる寂しさに唇を噛みつつ、置いていく男性の後ろ姿に簿れるという矛盾を常にくり返しているのだなと思わざるを得ないのであります。
まず戦闘体勢をとれるかどうか、それをスムーズにどこまで持続できるか。
こうした不安を常に考えながら、女性を抱いているのが男性です。
気まぐれな男性は、欲しがった分だけ向こうを向くのも早い。
男友達がいない男性には、スケールも包容力もない。
身なりに気を遣いすぎる男性はキザで神経質。
おまけに彼女に洋服の色調まで指定してくるなんて、親切というより身勝手なだけではないか。
男性が弱い女性の条件というのは、それはただひとつ、その男性が惚れちまった女性なのである。
夫婦の愛の絆の崩壊は、そのお互いの立場を忘れ、妥協しあい攻撃しあうところからはじまる。
つまり夫を男性とも雄ともみとめなくなったとき、女性もいつの間にか自分のなかの女性を忘れはて、愛は化石の道をたどりはじめるのです。
いつも愛した(あるいは愛する)女性たちに、精神的には公平で中立でいてやりたいという男心。
もちろん現在行きたい恋はたったひとつ。
しかし、自分のために灯りを灯してくれる女性たちのために、その答えは精神的な愛情度のチョイスではなく、物理的な問題のチョイスになる。
男性はいつも旅人でなくてはならないし、そのためには、男性は確固たるふるさとなど持たないほうがずっと魅力的なのかもしれない。
女性を守ることを知っている男性は、女性に甘えることもまた知っている。
旅が似合うということは、男性の強さと覚悟である。
絶対また帰ってくるという、安全保障のある旅は旅とは呼ばない。
それはただの往復である。
敷居一歩またげば七人の敵、ではないが、なにが起こるかわからない旅の空で、その空模様のまま身をまかせて生きてゆくことの決断をどこかに秘めている男性。
そんな男性の背中でないと、男らしさというのは似合わない。
男性にとって昼間の顔は、男性の強い部分の真実。
夜は、弱みの真実なのである。
どちらが裏側か、それはどちらの顔で男性が女性につきあったか、それによって決まるわけである。
自分自身の身の安全ばかりをおしはかっている男性に「夢」や「ロマン」は求めない。
女性の長々とした愚痴や泣きごとに付き合わされる男性は、もうそれだけで「雄」の資格がないと言いきってもいいくらいで、女性の話なんてものは、下の口をぴたりとふさいでやると、不思議に上の口も貝みたいに無口になるもんだ。
いい男性は女性に冷たい、また冷たいからいい男性なのである。
いい男性は縛れない。
さらに縛れないからいい男性なのである。
悪というのは一種の毒。
毒とはときに非常に人の心を惹く、チャーミングなものに変化する。
また刺激剤にもなってしまう。
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