恋は女を苦しませながら大人にする
自分のペースで男性を愛するというのは、相手に「二番手の女」として選ばれるのではなく、「自分の生き方を、自分自身が選ぶ」という強い意志が必要です。
どっちが自分を愛してくれるかということよりも、自分がどっちを愛せるかということの方が問題なのです。
「あの人さえ喜んでくれれば」というのは良い恋愛とはいえません。
本当に失恋するとは、「その愛が散ってしまう」ことです。
それも二度と咲くことなく。
その愛が散ったことを、他人(ひと)に知られることもなく、私はこれが愛だと思うのです。
愛というのは、相手を許すことから始まります。
相手と付き合いたいと願うことで、一方通行だけど、その自分だけを許すところから始まる。
私の言いたいことは、愛することってとても愛する事ことは、難しいことではないんですよってことです。
愛するためには、まず愛されなきゃならない。
愛されるってことが、愛することなんですよきっと。
それはとてもきびしいことですよね、やっぱり。
愛に報酬を求めるなんてとんでもないこと、それはただの甘ったれです。
惚れちゃった男性は格好わるい。
惚れさせちゃった女性は格好いい。
恋愛関係においては、なぜかはっきりこういう図式がなりたつ。
女性はかたちのうえで男性をくらべられても、心の中では真実一人の男性しか愛せない。
恋した女性が平静でいられることは難しい。
計算も演技もできない少女にもどるからです。
大切な大切な自分の恋を守るためには、まず自分をよく知ることが第一。
それも自分の眼でみた自分ではなくて、相手の男性からみた、自分というものを。
私はときおり男性と女性の恋に対する考え方を電車に例えます。
男性は何両かが連結された列車。
頭と心と、下半身、みんなバラバラなのです。
ある女性とは心だけ、この女性とは下半身だけ。
その場で切り離した付き合い方ができる。
それに比べて、女性は一両だけの電車。
一人の男性を好きになったら頭も心も、もちろん下半身も、丸ごと飛びこんでいって一筋の一本線。
それでうまくいけば、いいのかもしれないけれど、うまくいかなかった場合、負う傷は、どれだけ女性のほうが深いでしょう。
何たって一両編成、なんですから。
いま一歩踏み込めないで、ひたむきさを失った女性の恋心なんでものは、男性にとっては、絶好の材料でしかありえない。
こっちは恋だと思っていても、男性にしてみれば、浮気女の時間つぶしにつき合ってやったぐらい、少し向かったさせるような気持ちなのです。
凄いに恋におぼれ死ぬというのも、女性のひとつの生き方であると思います。
恋の裂け口は自分の手術で、そこをえぐりとってしまわなければ、もとにはもどらない。
どんなに激しい死ぬほど惚れあった恋でも、出逢ったころの感情を、いつまでも持ちつづけることは、もちろん不可能なこと。
だけど相手を冷めさせるほど、変わりはじめた自分を自覚できないのは、おろかであわれな恋の破局の終幕なのです。
愛すればこそ相手をこの世から消滅させて自分のものだけにしたいと、ひそかに願う女心のエゴは、純粋でいじらしい愛そのものなのです。
恋に酔うと女性はすべてを忘れてしまいます。
ときには自分まで忘れてしまうのです。
片想いの恋に疲れたのであれば、一時休憩するのもいいでしょう。
焦る必要はありません。
あなたの人生は、これからもずっと長いのです。
ですから、今すぐ付き合いたい気持ちや不安な気持ち。
このような気持ちを、一度落ち着かせてみましょう。
そして、落ち着いた頃に、本当に自分の気持ちに気づくはずです。
その時に感じた気持ちや感情。
そこをヒントに、今後の片想いの行方を決めて行ってはどうでしょうか?
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