夫婦でのスキンシップ。
これはとっても大事なことで、スキンシップがない夫婦というのは、皆さんもうお分かりですよね。
今回は、そんな夫婦でのスキンシップの大事さについて。
スキンシップの効果は無言の夫婦とはどのように違うのか?
ここに関して今回はご紹介しようかと思います。
「メシ、風呂、寝る」的夫婦の心理|儀礼的関係のいいところ、悪いところ
人が相手と関わり合うときに儀礼的な方法をとることがよくあります。
例えば、他人と出会ったときに「おはようございます。今日は、どちらへ?それじゃまた。」というような挨拶の言葉をかける。
私達の日常生活の中には、このようにいわば儀式化してしまった儀礼的な決まり文句がたくさんあります。
勤めから帰ってきた旦那を迎えて、妻は「お帰りなさい。忙しかった?」と声をかける。
それに対して、旦那は「まあ、まあ」というけれども、それ以上別に会話を進めない。
妻の方も「忙しかった?」と聞いても、心から旦那の返事を聞こうと思わずにただの挨拶として聞いているのでしょう。
それを承知しているから、旦那の方も「まあ、まあ」などといった、生半可な返事を返すのかもしれません。
ときに、この「まあ、まあ」という表現は、それ以上に会話を進めたくないとか、それ以上のもっと深いところでの関わり合いを避けたいというメッセージを相手に伝えるためによく使われるようです。
この種の表現は他にもあります。
日常よく使う敬語なども、相手との間に一定の距離をつくるために用いられています。
このように、儀式化してしまった言葉のかけ合いによって他人と時聞を過ごす方法を儀礼的な関わり方という。
ときに、このような儀礼的な関わり方も、さまざまな人間関係において意義ある事は間違いありません。
「また明日」という挨拶の言葉一つをかけ合ったり、握手し、会釈するといった社交上の儀式的な言動は、それなりの意義があるのです。
少なくとも相手の存在を確認する一つの意義ある表現形式であります。
しかし人間関係には、儀礼的な関わり方以上の反応を必要とする状況がたくさんあります。
皮相的なレベルだけでなく、もっと深い所で反応し合い、関わり合うことを求める関係があります。
例えば、夫婦関係が単に儀礼的なレベルだけで成り立っているとしたならば、それはまことに味気ないものであるにちがいない。
次のような会話を交わす夫婦の一日の生活を想像してみよう。
妻「あら、もう起きたの?」
夫 「うん」
妻「ごはんの仕度できたよ」
夫「そうか。分かった」
夫「おい!ネクタイと靴下は?」
妻「はいはい」
夫「じゃ」
妻「行ってらっしゃい」
夜、夫が勤めから帰ってくる。
妻「お帰りなさい」
夫「うん」
妻「忙しかった?」
夫「まあ、まあ」
夫「おい、夕飯まだか?」
妻「はい、ただ今」
夫は黙って新聞を読み、テレビを見る。
妻も独りで台所の後片付けをする。
夫「風呂に入るぞ」
妻「今、湯かげんを見ます」
夫「おい寝るぞ」
妻「・・・」
これは極端な例かもしれないが、この程度の言葉しか交わさずに過ごす日々をくり返している夫婦は、きっと世の中に多くいることでしょう。
これは、儀礼的な関わり方に固定してしまった夫婦関係のよい例である。
そして、この固定化してしまったパターンを破り、それ以上の深さで夫婦が関わるということが並大抵の努力ではできないといった夫婦が多くいます。
このような夫婦は、いろいろな理由からそのような関わり方を選んでいるわけだろうけれども、心の隅のどこかで味気なさや、不満足な思いを感じていることでしょう。
夫婦関係だげに限らず、他のあらゆる人間関係において、儀礼的な関わり方に満足できるものと、満足できないものがあります。
そこで問題は、どうしたら満足のいくような関わり方をすることができるかということですが、それには他人と時間を過ごすときに、なぜ儀礼的な方法を選ぶのか、その理由を考えてみる必要があります。
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