我慢強い人ほど、どんな試練にも耐えぬく忍耐力が強い人でもあり、怒りっぽくない性格の持ち主ともいえるでしょう。
今回は、こんな我慢強い人に関して。
我慢強い人の長所と短所をご紹介するとしましょう。
我慢強い人の長所と短所|短所はこうして無くすべし!
「我慢」というのは、人生の薬味のようなものです。
汗をかき、へっこらへっこら山を登っていく。
やっとの思いで頂上にたどり着いたとき、そこで飲む水の味わいは格別です。
「人生」をおいしくいただくためには、ある程度の「我慢」も必要ですが、 ただし、心の医者の立場いわく、「我慢」のしすぎは体に悪いようです。
「我慢」にも限界点というものがあって、それをオーバーすると、火山の噴火となります。
感情のコントロール機能を失って、爆発するのです。
ところで、火山の噴火を引き起こすマグマには、きらきらと水っぽい性質のものと、ねばねばと粘着質が強いものと、二種類のものがあるそうです。
きらきらとしたものは、頻繁にボンボンと爆発を起こす。
人に例えれば、ささいなことですぐにカッとくる、「あの人、また始まった」タイプの人です。
もう一方の、ねばねばしたマグマは、頻繁に噴火を起こすことはないが、ある日突然ドッカーンとくる。
普段はおとなしく、まじめそうに見えた人が、ある日突然、突拍子もないことをしでかす…
という話は、よく耳にすることですよね。
家族を捨てて家出してしまったり、ギャンブルで大金を使い果たしたり、あるいは刃物を振りまわして人を傷つけるなど。
周囲にいる人たちは、「え、あの人がなぜ?どうして?」と驚かれるような人です。
火山も人も、危ないのは、後者の方です。
「我慢強い人」の爆発は、地下に蓄えられたマグマの量が大きいだけに、爆発の威力も大きくなり、周りの人を巻きこむのであります。
また、爆発せずに、人間らしい感情の起伏がなくなってしまう人もいます。
どちらにしても、「やり過ぎ」は、よろしくない。
「我慢すること」は大切だが、その限界点に達する前に、どこかで発散することも、また大切なのです。
我慢することの大事さ|社会を生き抜くためには、我慢強さが必要です!
私たちの日常生活は、あわただしく過ぎていきます。
「お昼ごはんまでに、これをしておかなくっちゃ」というつもりが、突然の来訪者や、思いもしない用事で、後回しになっていく。
「午後からは仕切り直して」と思っても、午前中のばたばたで、用意しておいた資料が見当たらない。
「ここかしら、あそこかしら」 と探しまわっているうちに、三時となり五時となる。
人と会う約束があったから、急いで駆けつければ、待ち人は約束の時間を過ぎてもいっこうに現れない…
ここまで「ひどい日」はめったにないかもしれませんが、いずれにせよ、人生はなかなか自分の思うようにはなりません。
人生とは、まるで回し車をまわすハムスターのようです。
前進しようと懸命になって走るのだが、からからと空しく回し車がまわるだけで、ハムスターは、今いる位置から一歩も動いてはいない。
考えてみれば私たちは、毎日毎日よくも飽きずに、この「思うようにならない現実」をくるくる回りながら生きているものです。
なんだか自分で自分がこっけいに思えてきます。
しかしながら、こんな世の中を生きている私達は、勝手に成長しているという考え方もできます。
「思うようにならないこと」に振りまわされながら、私たちは、ある大切なことを学んでいるのかもしれません。
それは、「我慢する」ということです。
もし世の中が、魔法を使えるのであれば、「お昼ごはんまでにしておくこと」は、あっという間に完了し、「突然の来訪者」も「急用」も、なぜか自分を素通りしていき、「待ち人」も、呼べば煙とともに現れる。
なんの障害もなく、そんな具合にすいすいと物事が運んでいく人生だったら、私たちはどうなるのでしょうか?
いつまでも、「我慢すること」を学ぶことができません。
これは、考え方によっては、こちらのほうが厄介な世の中になるのかもしれません。
順風満帆な人生を送ってきた人であっても、いつかは必ず、「思うようにならないこと」に遭遇するし、そのときに、甘やかされて育った子供は、「我慢すること」を知らずに生きてきた人は、へナへナと萎えてしまうか、逆に爆発して暴動を起こすか、のどちらかではないでしょうか?
日々少しずつの「我慢」が、私たちを力強く育ててくれているのです。
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