日本人は礼儀正しく、マナーがいい国として世界的に評価されています。
今回は、そんな礼儀に関して。
なぜ日本では、礼儀正しい人ほど好かれて、礼儀知らずほど好かれないのか?
そんな素朴な疑問を解消していきましょう。
真面目な日本人にとって、礼儀は社会の常識
真面目な日本人にとっては、礼儀知らずほど、魅力が無いと思える瞬間は無いのではないでしょうか?
これは、恋愛においても同じです。
礼儀知らずほど、異性から嫌われますし、逆に礼儀正しい人ほど、好印象に見られがちです。
例えば男性の場合、コンビニの店員さんが親切な対応をしてもらったのに対し、そっけない対応をしてしまうと、女性は心の中で「この人は礼儀知らずだな」と思っていることでしょう。
これは、女性の場合でも同じです。
また、あなたがコンビニの店員さんだった場合、全く同じ人でも、礼儀正しい人か礼儀知らずな人なら、どちらのお客さんが好印象でしょうか?
間違いなく、礼儀正しい人ですよね。
そして礼儀は、これから世の中を上手に生きていくうえでも、とっても大事な能力です。
なぜ、これからの世の中を生きていくには、とっても大事な能力なのか?
次のタイトルからは、詳しく礼儀の重要性などについて、ご紹介していこうと思います。
礼儀作法の意味が実は結構深い~過去をさかのぼってみよう!
日本には、「芸」という言葉があります。
正しくは旧字で「事」と書く。
上手に歌をうたう技能、手品のわざ、芸は身を助ける、芸が細かいなど。
芸能の「芸」として使われるのが普通です。
古代の中国では、この言葉には、貴族の男子が成人するために身につけておかなければならない「たしなみ」という意味があったそうです。
これを「六芸」という。
音楽・弓術・馬術・書法・算術・礼法という六つの「芸」、いわば「たしなみ」なのです。
この六つのことが身について、その人は初めて一人前の貴族として認められたのだそうです。
礼儀作法の大事さと堅苦しいイメージ
ここで気がつくのは、趣味、学問、そして戦士としての技術に並んで、「礼法」が加えられているところです。
「礼法」とは、礼儀作法のこと。
いくら楽器をうまく奏でることができても、弓矢を引くことがうまくても、学力が豊かであっても、礼儀作法がなっていない人は、一人前としては認められなかったのです。
確かに、今の時代に生きている私にも思い当たるフシはあります。
「私、〇〇大学の出身なんですよ」
「三十五歳にして役員に抜擢されまして」
「テレビにはコメンテーターとして、よく出演するんですがね」
このような人に出会えば、「へえ、それはすごいなあ」と感心もするが、その人が礼儀作法がなっていない人だったりすると、がっかりしませんか?
どこの大学の出身か知らないけれど、どんなに有能な人かしらないけれど、「人としてはなあ…」という気持ちもわいてきます。
何が言いたいかといいますと、礼儀作法といっても、堅苦しいことをいっているわけではないのです。
お辞儀は四十五度腰を曲げて、人を迎えるときは三つ指ついて…などというつもりはありません。
「はじめまして」も「失礼します」もいえない人が、実際、たくさんいるのです。
「ありがとうございます」をいえない人もいる。
礼儀作法というのは、こういった常識範囲の事ができれば、社会では十分生きていけるのです。
こんな、常識範囲の事が出来ない人に関しては、「この人の親は、いったいどんなしつけを…」と疑いたくなる人も多いものだが、それよりも、この人自身が可哀想になる。
礼儀作法が身についている人は、一緒にいても、初めて会った場合でも、気持ちのいい人と思われがちです。
逆に、礼儀を出来ない人というのは、必ず社会で話題の人となります。
話題と言っても、もちろんネタの方の話題ですよ。
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