もっと愛したい、愛されたい…
「つきあっている相手のことが分からなくなった」「相手のことが信じられなくなった」という悩みを訴える女性を最近見ることが多くなった。
主に女性読者からの相談の手紙である。
「つきあいを始めた当初、デートのとき、彼が語る話題が豊富で楽しかった。そんな彼に惹かれて本気でつきあうようになり、自然に関係も深まりました。でも、ここ数週間、彼は寡黙になってきました。何か不満があるのかと聞いても、特にないと言う」
Tさん(二六歳)からの手紙だ。
相手のことが分からなくなる理由はさまざまだ。
その理由が分からないと、いろいろと想像し始める。
「相手が黙っていると、何を考えているのか分からなくて、不安になるのです。二人でいると退屈なのだろうか。私を嫌いになったのではないか?」
「彼の言葉が信じられない。本心を語っていないんじゃないか?」
「ほかの女性と一緒に、楽しそうに話しているのを見かけました。どういう関係なのか聞いても、はぐらかして、答えてくれません」
そして、こんな質問が添えてある。
「愛情って、そんなにかんたんになくなるものでしょうか?」
「ウソのない関係は、どうすればつくれるのでしょうか?」
「相手の心を見抜く方法って、あるのでしょうか?」
「本当に愛されている」という証拠は何か
「愛ってそもそも何なのか、分からなくなってしまった」 と疑問に思っている人もいる。
昔、アウグスティヌスという有名な哲学者がこんなことを言ったと伝えられている。
時間について人から問われなければ時間とは何か分かっている。
けれど、人から関われたら時間とは何かが分からなくなる。
愛も同じだと思う。
私も「愛って何ですか?」と関われたら、アウグスティヌスと同じように、かんたんには答えられない。
けれど、ここで改めて考えてみたい。
愛とは、いったい何なのだろう。
相手から「愛されている」ことは、どうやって知り、確かめることができるのだろう。
自分と一緒に過ごす時間の量で測るのか。
浮気をするかしないかで決められるのか。
相手が口にする愛の言葉の量で判断できるのか。
あるいは、その愛のささやきを耳にしたときの、自分の心の高鳴り具合で測れるのだろうか。
悩んだ分だけ愛はもっと深くなる
人間にはさまざまな面がある。
どんなに愛している人でも、好きな面もあれば、嫌いな面もあるだろう。
だから、「あなたのそこが嫌いだ」と言っても、それは「私はあなたを愛していない」 と言っているわけではない。
逆に、「あなたのそういうところが好きだ」と言っても、それがすぐ、その相手を愛していることにはならない。
人を愛するとは、ただ、相手のどこかを好きだとか、愛の言葉を語るとか、体をふれあうとか、そういったこと以上のものなのだと、私は思う。
相手に自分の心のすべてを聞いて見せるか、見せないか、ということとも違う。
心の内のすべてを相手に伝えることで、相手を傷つけ、悲しませることもある。
そういう判断に基づいて、相手へのいたわりから事実を伝えないという愛し方もあるだろう。
もちろん、この逆もある。
愛するゆえに、自分の思いや考えを分かってもらいたい、心を全部聞いて、通じあう関係を築きたい、ということもある。
そういう人にとっては、心を聞きあうことが、愛しあっていることの証となる。
しかし、どんなに愛しあう関係であっても、どんなに話しあっても、人には「分からない」部分もあるということを知っておくことも大切だ。
それほど、人間の心は奥深いものなのだから愛もまた大きく、奥深い。
見えない部分、分からない部分が多い。
だから魅力があるのだろう。
分からないことが多ければ多いほど、その魅力は大きくなる。
だから人は皆、その未知の愛の世界に踏み入りたいという欲求に駆られるのである。
「信じられなくなった」
「分からなくなった」
「見えなくなった」
という人も、愛を求めるからこそ悩むのだろう。
万人が求める愛。
しかし、賢い愛の対処法を知らないと、愛という言葉の大海に浸りながらも、渇きを潤す一滴の水も飲めずに溺れ死んでしまうこともある。
本当に人を愛するためには、愛の世界を探り、確かな愛の関係を築く知恵を学ぶことが必要なのだ。
あなたのいままでの愛し方、愛され方。
また、いま一番大切な人との接し方、そして、これから出会っていく人との関係ためにも、これから綴るアドバイスを鏡にして自分を映してみれば、これまで気づかなかった大事なことが見えてくるだろう。
そして、いま何かに悩んでいる人はその対処法を、もっと上手に二人の愛を育てたい人はそのための方法を見つけてほしい。
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