二人の関係をいきいき動かす「四つの車輪」
愛する能力の実体とは何なのだろう。
今から、そのことを考えてみよう。
愛しあう関係というのは、一時的に燃えることではなく「特定の相手に向けられた愛情という心のエネルギーによってつづいていく関係」と言っていいだろう。
今日燃えて、明日は冷めてしまうという関係ではなく、今日も、明日もつづく関係である。
この愛情の表現の仕方はさまざまだが、大きく分類すると次の四つにまとめることができる。
「配慮(思いやり)」「責任」「敬意」「理解」である。
車の車輪をイメージしていただきたい。
この四つの車輪が、愛情の関係を長つづきさせ る支柱になるのである。
今から、この四つを愛の要素として掲げていこう。
①配慮(思いやり)
愛する人の生命と成長に関心を示し、積極的にかかわること。
愛の本質は、愛する人のために働きかけヘ何かを育てることだから、愛する人への思いやりは形で示されるものである。
「思いやる」ということは何を意味し、どういう形であらわすことが健全であるかということを、知ること。
②責任
義務感からではなく、自発的に相手のニーズに応えること。
責任とは文字通り応答する能力である。
③敬意
恐れでも畏怖でもない。
愛する人をあるがままに見て、受け入れること。
そして、相手の人格とその人の特異な個性(考え、心情)を理解し、尊重すること。
④理解
人に敬意を示すということは、その人を理解することなしには不可能である。
また、その人への配慮と責任も、その人を理解することができてはじめて可能となる。
そして、その相手に対して「関心をもちたい」「配慮したい」と願う気持ちがなければ、本当の理解にはならない。
また、愛する人の周辺を理解するだけでなく、その人の内側に目を向け、分かろうとすることで、はじめて本当に理解することができる。
つまり、愛とは相手への「積極的〈侵入〉」である。
私が説く「愛の四つの要素」は車の四つの車輪である。
どれ一つを欠いても、「愛の関係」はうまく進まない。
相手の魅力に魅せられ、何かを得たいという自己中心的な思いは、情念と言ってもいい。
それは、心の中で発火し、精神的エネルギーとなって、その相手とのかかわりを求めたいという衝動となる。
それが恋心であろう。
この内に燃えるエネルギー(恋心)は車を走らせる燃料、ガソリンのようなもの。
だが、車体とガソリンがあれば車は動くかというと、そうではない。
車輪がなければ動かない。
それも一つの車輪だけでは車は前進しない。
エアーが十分に入った四つのタイヤ、四つの車輪が必要なのだ。
そうやって、車を目的地に向かって走らせながら育てていくのが、愛なのである。
二人の気持ちがたんなる恋心ではなく、お互いに相手に対する愛があるかないかは、相手への思いやり、相手を大事にする心、相手のニーズに応える決意と行動、相手自身をより深く理解しようとする努力によって、確かめあうことが必要である。
愛は、プレゼントの中身によって測られるものではない。
また、夜をするかどうかで決められるようなものでもない。
そういうものや形は、それが相手への思いやり、責任、敬意、理解などの表現であるときにのみ、意味がある。
自分の中に、相手に対する本物の愛があるかどうかを確かめたいなら、相手にこのような四つの行為で愛を表現できるかどうかを考えてみるといいだろう。
別の言い方をすると、本当に心から敬意をもって接することができる相手か、思いやりを示したい相手か、相手のニーズに応えたいか、相手のことを深く知りたいと思えるか。
そう考えてみることで、相手に対する自分の気持ちも、はっきりと分かるようになる。
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