失恋の裏には、必ず嫉妬心がある
嫉妬心で苦しんでいる二十五歳の女性です。
お互いに仕事が忙しく、デートは一週間に一回なので、会えない日は毎晩、電話で話しています。
それも、ほとんどの場合、私の方からで、彼からはめったにかかってきません。
私はいつも、『今日は何をしたの?」『誰と会った?』といった質問からはじめます。
この間、『そういう質問の仕方はやめてくれ」と一言われて、やめたんですが、心の中では、彼が、いつ、誰と、何をしていたのかを知りたいという思いがいつもあって消えません。
彼は、私を『嫉妬心の強い女だ』と言いますが、これは嫉妬心なのでしょうか?
それが、嫉妬心だとしても、愛情があるから嫉妬するのであれば、悪いことではないし、当然なことだと思うんですけど・・・
その彼から、『もう電話はやめてくれ。用があるときは、こっちからかける』と言われました。
『それはひどい』と言って、泣いてしまいました。
電話をするな、嫉妬するなって言われると、私の心の中はますます嫉妬心が強くなり、どうしようもなくなってしまうんです。
嫉妬心で苦しんでいる状況のところを抜粋した。
「嫉妬は恋の姉妹である。悪魔が天使の兄弟のように」 フランスの文学者プーフレールの言葉だ。
彼の言葉を、こんなふうに言いかえることができる。
「恋心は天使からのプレゼント。嫉妬心は悪魔からのプレゼント」 世の中に、天使や悪魔の存在を信じない人はいても、恋心に嫉妬心がつきものなのは誰も否定しない。
恋心があるところには、嫉妬心がまるで双児のように付いてまわることを知っている。
嫉妬心。
それは、人類の発生のときから存在し続けてきたものなのだろう。
人と人との関係がはじまるところに、嫉妬心が必ず顔を出す。
弟や妹が生まれ、兄弟・姉妹関係がスタートした瞬間に、嫉妬心が芽生えはじめる。
二人の弟と四人の妹がつぎつぎと生まれてきた家族の中で、長男だった私などは、嫉妬心をいちばん多く感じながら育ってきたような気がする。
学校に通いはじめるようになると、とたんに級友との間で嫉妬心に苦しみ、さまざまな心の葛藤や、争いごとを生み出す。
陰湿ないじめの問題も、嫉妬に基づくものが多い。
恋愛関係も、先の女性の例のように、この嫉妬心で狂わせてしまうことが少なくない。
「私の部屋に入ってくるなり、携帯をチェックし、女性からのメールやLINEだと、女性は誰?』と聞かれる。
「私が部屋を空けたときに、私の携帯を盗み見する」といった恋人の行為が許せないという理由で、その恋人と別れたという男性がいる。
「嫉妬は魂の黄痘(病気)である」とイギリスの詩人ドライデンは言う。
簡単に言い換えると、「人間という同情や感情」が豊かな人間だからこそ、嫉妬するという事だ。
「二人の男女が愛し合い、嫉妬し合い、そして、憎み合い、別れた」という話は、つねに文学の中心的モチーフであった。
男女の関係に溝を生み、しばしば破綻に導いてしまう嫉妬心。
それは、「魂の黄痘」といわれるほど、人の心を悩ませ、病んだ状態にする。
でも「黄痘」は新生児の頃に必ず一度は体験するように、恋愛には避けられない「一時的な病」のようなものだとも思う。
でも、嫉妬心の扱い方によって男女の関係の結末はかなり異なるのだ。
嫉妬心を卒業して、信頼で結ぼれた深い愛の関係を築くことにもなれば、逆に、二人の関係に溝を作り、破綻を招くこともある。
最大の過ちは、嫉妬心を抱く人の心を悩ませ、心の葛藤に苦しまねばならないことだ。
これこそ、「魂の黄痘」である。
苦い汁がつねに体中に充満しているような状態となる。
そればかりか、病んだ魂は、その人の心を狂わせ、相手を傷つけたり、相手の生命を奪うといった行為に走らせることすらある。
「恋愛の数ほど、失恋がある」と、ある恋愛作家が書いていた。
「その数多い失恋の裏には、嫉妬心がある」と言っても過言ではないだろう。
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