なぜ、人は沈黙するのか
沈黙する理由は、人によって異なるだろう。
また、沈黙しているときの、その相手をしている人によっても、その沈黙の理由が異なると思う。
ここで、沈黙の構造の分析を試みてみよう。
人はなぜ沈黙するのか。
さまざまな理由が考えられるが、思いつくままに列挙してみる。
1.相手への関心がない。
話をして関わることに価値がないという判断。
愛情が消えた場合など。
2.わがまま。
自分だけの世界に閉じこもっている。相手のことを考える配慮がない。
3.面倒くさい、わずらわしい。相手にしゃべらせておけばいいといった態度。
4.討論になったり、ケンカになってしまうので、それが嫌だ、そんなエネルギーがない。
5.自分の考えや思いをどう表現していいか分からない。あるいは、苦手、下手だから、照れくさいから。
6.自分をさらけ出すのが怖い。批判されたり、裁かれたくない(そういう相手の場合は特に)
7.何をどう表現したらよいか、と慎重になりすぎて言葉が遅くなったり、話すチャンスを失ってしまう。
8.卑怯な態度を途中までは話しはするけど、話の結論を相手に言わせようとする。
9.責任をとらない態度や頼みごとなどで、「・・・してほしい」とはっきり言わず、相手が「・・・していいです」と言うのを待ち、言ったことの責任を相手に負わせてしまう。
10.黙っていても、相手は心を読みとってくれる、分かってくれるだろう、といった自分勝手な期待。
11.相手がよくしゃべり、しかも楽しんでいるので、ただ黙って聞いている方が楽である。
まだこの他にもあるかもしれない。
もちろん、人間の心理は複雑なので、こういった理由のいくつかが複合的に存在するのかもしれない。
「しゃべらずにはいられない」という心理
人がなぜおしゃべりになるのか、その心理構造を分析してみることにした。
考えついたことを挙げてみよう。
1.相手の沈黙の意味を分かりたい。
沈黙の意味が分からないと不安になるので、その不安から逃れたいために、口を聞かせようとして、いろいろと質問を浴びせる。
答えが返ってこないと、自分が考える答えを陳述してしまう。
2.沈黙に耐えられない。
相手が心を開くのを待つことができない。
1の場合と類似しているが、より自分の焦燥感が募り、黙っているのががまんできなくなる。
3.強迫観念から。
相手の沈黙とはあまり関係なく、つねにしゃべっていないと落ち着かない。
4.自己主張が強い。
相手にしゃべるチャンスを与えずに、自分を表に出し、人びとの関心を自分に寄せたいという欲求が強い。
特に、何人か人が集まったところでよく示す行動。
自己顕示欲が強い人によく見られる。
5.サービス精神が旺盛。
冗談を言ったりして、相手(一人より、集団のときの方が多い)を笑わせたり、感心させたりするのが上手。
実は相手へのサービスよりも、自分が悦に入るという自己満足のため。
6.単純に、相手が話をしないため。
間をつなぐとか、話題を提供して、相手の話を引き出そうとする。
7.心のふれ合いが欲しい。
「以心伝心」というが、心は、黙っていては通じないと考えているので、とにかく、言葉を交わすことで相手の心の内に入りたいし、自分の心の内も相手に伝えたいという思い。
8.コミュニケーションは、「言葉」を交わさなければ成立しないという思い。
言葉以外にもコミュニケーションの手段はあるのだが、そういった手段には長けていないために、言葉を重要する。
上記のような事が心理的に考えられる。
人間の心理というのは、データさえあれば、単純なのかもしれない。
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