相手に浮気をさせてしまう?
今、私の婚約者の浮気の問題で悩んでいます。
といっても、実は彼の問題というより、私自身の問題で悩んでいるといった方が正しいのかもしれません。
というのは、以前、別の人と婚約していたときにも彼が浮気をしたことがあり、それが理由で破談にしたことがあるんです。
そして、今回もまた婚約者の浮気のことが分かったので、破談にしようかどうか迷っているんです。
と同時に、どうして、私は浮気するような相手ばかりを選んでしまうのか考えています。
私はよっぽど運が悪いのか、それとも、私自身に何か問題があるんじゃないかって。
二十七歳のOLからのお手紙です。
この女性の手紙の例のように、もう結婚を約束している仲、婚約している仲なのに、その相手が浮気したという話は少なくないように思う。
この女性は、婚約者の浮気は、彼自身の問題よりも、自分自身の問題であるかもしれないという。
これは、大切な「気づき」だと思う。
もちろん、婚約している身でありながら浮気をする彼氏には問題があるかもしれない。
しかしと同時に、彼氏を浮気という行為に走らせてしまう何かが、もしかしたら彼女の側にもあるかもしれない。
少なくとも、彼女はそれに気づいている。
問題が自分の側にあるとしたら、それが何かを分かろうとしている。
恋愛関係にある相手の行動が、自分にとって問題だと感じたときに、その問題行動は、二人の関係の中で生じることが多いのだ。
二人の関わり方によって誘発されるということが、しばしば生ずるものなのだ。
とするならば、相手の問題行動を誘発した要因を明らかにしないと、問題の実体を理解することができないわけである。
では、この女性自身の何が、婚約者の浮気を誘発することになったのだろうか。
そして、その要因を明らかにするために、彼女はどんな作業をしたのだろうか。
そのことを述べる前に、まず触れておきたいことがあるので、それから先に述べることにしょう。
浮気して当たり前
そもそも、浮気とは何かということをちょっと考えてみたい。
ひと言で浮気といっても、いろいろとある。
『広辞苑』によると、「浮気」とは「男女間の愛情が、うわついて変わりやすいこと、「多情なこと」とある。
要するに、愛情の対象が変わりやすいことを意味する。
世間では、浮気とは「一時的な性的関係」と考えるのが一般的であるようだ。
たとえば、「単なる浮気だったらいい。許せる。でも、愛情関係ならだめ。絶対に許せない」といって、パートナーの浮気に対して寛容(特に男の浮気に対して)な態度をとる人がいる。
もちろんその一方で、そういう浮気を許せないという人もいる。
「一度でも、浮気をしたら、関係を断つ、離婚する」という人もいる。
自分と深い関係、親密な関係、夫婦の関係でありながら、他の人とも性的関係を持った相手に抱かれたり、抱いたりすることなどできないというわけである。
それはそれで、その人の考え方であり、決断であるのだから、よしとしよう。
でも考えてみると、「愛情が移り変わる」とか、「多情である」ということは、人間にとっては自然な現象であるように思えるのである。
そもそも、人はなぜ愛情が移り変わったり、多情であったりするのだろうか。
まず人というものは、誰か一人の人を愛し、愛されることを通して、愛するということを学ぶのではないだろうか。
この世に生を受けて、まず、親(あるいは、その代理者)から愛されることによって、生きるために必要な食べ物を与えられ、成長を続けることができたのだ。
食べ物だけではない。
親の保護、ケアによって成長してきた。
優しいまなざしや、愛情を受けながら育つことができたのだ。
こうして、愛される体験ヘケアをか受ける体験を通して、愛されることが素敵であり、また、生きるうえには不可欠なものであることを学習してきたのである。
関連記事
この記事へのコメントはありません。