条件付きの愛は偽物
ところで、あなたは「愛する」とはどういうことなのか、とことん考えてみたことがありますか。
愛するというのは、言い捜えれば「与える」ということです。
今の人たちは、ギブ&テイクという言葉をよく口にします。
その裏には、「与えただけ戻ってくるのが当たり前」という考えがあります。
しかし、実は愛とは無条件で与えるものです。
条件がついているものは愛ではありません。
本当の愛とは、ギブ&ギブ。
自分からは見返りを求めず、ひたすら与えるだけのものです。
これは、自分の心の中をよく整理してみると見えてくる真実です。
あなたがある程度の年齢になっているなら、経験的にもそれがわかるでしょう。
相手を心から愛しているときは、「あの人にこうしてあげたい」「こんなふうにして喜ばせてあげたい」と考え、それを表現すること自体が喜びになります。
「あの人は私になにをしてくれるかしら?」とは考えないわけです。
そして、その愛情を受けとる側の男性も、あれこれヘリクツを言わずに正面からそれを受け入れることができれば…
その人のメンタリティ(心)が正常に動いていれば、必ず受け入れることができるわけです。
お互いの愛が相乗的に高まり、すばらしい関係がつくれます。
女性は、どこまでいっても、自分が愛していなければ幸せではないのです。
「優しく愛してくれる男がいい」という女性が多くなってきたのは、ちょうど団塊の世代あたりからでしょう。
離婚件数が増えてきたのも、そのへんの世代からです。
その原因は、無批判に「男が女を愛するものだ」と思っているところにあると思います。
だから「男がもっと与えるべきだ」という要求がふくらみ、相手は相手でそれに耐えられなくなり、関係が破綻してしまうのです。
ひとつには、与えるということに対する誤解があるのでしょう。
与えられるほうがトク、与えるとソンしてしまう、そんな思い込みがあるのです。
しかし、それは大きな間違い。
ボランティアにしても、本来は与えるところから出発しています。
まず、見返りを求めずになにかをする。
やってみると、心に充実感や幸せ感が満ちてくる。
そこではじめて、これが見返りなんだとわかります。
男女の愛も同じです。
重要なのは、好きな人になにをしているか、されたかではなく、そのときに起きている心の現象です。
例え、はたから見てあなただけが与えているように見えても、あなた自身が幸せを感じているなら、立派な愛です。
そして、見返りもじゅうぶんに受けています。
「私ばっかり尽くしてる」とか「ちっともふりむいてくれない」とか不満に思っているなら、愛ではないのです。
自分をまるごと愛せる人が、人を愛し信じれる
さきほどは、心理的現象としての「愛」を考えてみました。
これが「愛する」という動調になったときは、「気持ちとその表現」ということになります。
ただ情熱を燃やしている、カーッとのぼせているというのとは違います。
愛が形になり、力となって相手に伝わり、相手のやる気がぐんぐん高まり、爆発的に能力が引き出されてあらゆることが可能になっていく。
これが本物の愛のもつパワーです。
では、愛をそういう理想的な形で表現するにはなにが必要なのでしょうか。
一緒にいたり、尽くしたり、相手のために時間やお金をかけることが愛することだと思っている人も多いかもしれませんが、その前にもっともっと大切なことがあります。
ひとつは、さきほど書いたように、条件をつけないこと。
「こうしてくれたらああしてあげる」という発想をしないこと。
そして、何よりも大切なことは、あなたがあなた自身を大好きであるということです。
大好きな私が好きになった人、これが本当に愛を表現できる相手です。
これは男性も同じですが、自分をまるごと愛していない、信じていない人は、人を愛せないし、信じられないのです。
もし自分を愛していなければ、「こんな私を好きになってくれる人って、どこかへンなのでは?」 と、相手にまで疑惑の目を向けてしまいます。
ですから、大好きな自分をつくることが、とくに女性にとっては絶対に欠かすことのできない幸せの条件なのです。
もしあなたが今、愛し愛される幸せを十分に味わえていないなら、自分に対する気持ちをもう一度見つめてみる必要があります。
そして、自分を大好きになるために、新しい一歩をふみだす必要があります。
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