抱かれたい男とそうでない男がいる理由
男性が女性の体を見るように、女性にも、男性の肉体への憧れが潜在的にあります。
「抱かれたい、いい男」というのは、「いい体」の男なのです。
「男の人の体なんて、興味ないわ。見ても面白くないし」
そんなことを言う女性もよくいますが、そういう人でも、実は「こういう人になら抱かれたい」という本能的な感覚はちゃんとそなえています。
逆に「こういう人には抱かれたくない」という感覚もあります。
「あの人、生理的にダメ」などという言い方もします。
これは、頭ではなく本能のレベルで「こっちの強い遺伝子がほしい。こっちの遺伝子はいらない」と選別しているわけです。
そして、意識する、しないに関わらず、そのときの基準には間違いなく「相手がどういう体をしているか」ということが入っています。
体つきがいい人が好き、スラリとした細身が好き、肉付きがいいのが好きといった好みの違いはあるでしょうが、体型がどうであろうと、「不健康でひ弱な体」や「重いものを持つ力もない、ナヨナヨした体」を進んで求める女性はいません。
そういう事実を、女性ももっと自覚したほうがいいですね。
女性が男性選びの基準からこれをはずしてしまうと、学歴、優しい、男前…
といった要素で選んでしまいがち。
しかし、そうすると、男性のベースを形づくる大切なものが抜けてしまうことになります。
その大切なものとは、さきほども書いたように、きちんとつくられた体から生まれる欲望、そして感性です。
とくに、性的欲求が発達していない男にはモノに対する欲望や仕事への野望はけっして生まれません。
知識をいじくりまわすだけで、ひらめきや創造力を発揮するベースがないからです。
その部分がしっかりできている男性でなければ、すばらしい未来をつくり、人生を創造的に生きていくことは難しいのです。
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いい男の三つの絶対条件
男にとって「体」が大事な理由は、まだあります。
それは、体に対する自信が男性の自信の大部分を占めているということです。
私の感覚では、男が人生において抱く自信の八割は身体的な自信、残りの二割が能力に対する自信です。
自分は腕っぷしの強い男であるという感覚は、どんな環境におかれても、たとえば外国で暮らすことになっても、ものすごい力になります。
自分はどこへ行ってもやっていけるという自信を与えてくれるのです。
また、「山ぐらいは登れる」「一日ぐらい歩き通しても大丈夫」「マラソンなども、速くはなくても完走できるぐらいの力がある」
そういうレベルの体力があるということも男性にとって大きな自信になります。
どんなに頭がよくて、恵まれた環境におかれていても、自分の体に自信がない男は心からの自信をもって人生を乗り切っていけません。
とはいえ、女性が男性を選ぶのに、体さえ強い人ならいいのかというと、それもまた違います。
もう、男性が体の強さだけで女性を守れる時代ではありません。
「強い体」と、そこにそなわった欲望や野望、そして自信という大事なベースの上に、「知力」と「経済力」がそなわった男、これこそが現代のいい男といえるでしょう。
どんな職業についていても、知的な能力なしで活躍することはできません。
先を見通す力や発想を具体化する力、論理性、アクシデントに冷静に対処できる力といったものがあって、初めて結果を出すことができます。
資本主義社会ですから、それができる男には、能力を発揮したことへの当然の見返りとして経済力がついてきます。
親の財産のあるなしに関わらず、自分の力でしっかりとした経済力を身につけている男は間違いなく強い男。
女性にとっての「いい男」です。
女性がお金持ちの男性にひかれることを「打算的だ」などと非難する向きもありますが、これは強い男を求める本能からいえば当然のことであり、恥ずかしく思ったり、隠したりする必要はありません。
もちろん「お金だけ」が目当てだったら問題ですが、「経済力も含めて彼が好き」というのだったら、女性としてきわめて自然な感情だと思います。
そして、経済力のある男性にただ頼りたいとか、ラクをしたいという願望からでなく、「彼とならお互いに高め合える。自分ももっと成長できる」という視点で彼を愛することができたなら、すばらしい恋愛ができることでしょう。
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